なぎさホテルは心のランドマーク

副編集長の赤木です。

AMIGO HOUSEホステルの中でいちばん広いコンセプトルームには、新旧の逗子を表現したオリジナルのウォールアートが施されています。その中央に描かれているのは逗子なぎさホテル。

なぎさホテルは、スイスでホテル経営を学び、明治期に満鉄ホテルの支配人を務めた岩下家一子爵が、大正15年に私財をつぎ込んで作った海浜リゾートホテル。
目に留める人はあまりいないかもしれませんが、夢庵逗子店脇に案内板があり、こんなふうに記されています。

「この地に逗子なぎさホテルがありました。大正15年に湘南唯一の洋式ホテルとして建てられました。ロマンあふれる時代に創業され、昭和とともに歩んできたホテルは、皇族の御宿という、名誉あるスタートを切り、戦争・終戦・米軍接収という激動の波をくぐり抜けながら、多くの文化人に愛され65年間生きてまいりました。(後略)」

岩下子爵は、大正年間に避暑で訪れたのをきっかけに、逗子を大層気に入って定住。世界恐慌のあおりで昭和6年になぎさホテルを売り渡した後も、逗子を離れなかったそうです。

昭和時代から逗子に住んでいる方々から、折りに触れなぎさホテルの思い出をうかがうことがあります。家族の祝いごとがあれば必ずなぎさホテルのレストランで食事をしたとか、自分の結婚披露パーティーを催したとか。

つい最近も、AMIGO HOUSEと敷地を接する場所に、なぎさホテルの従業員寮があったと聞きました。
岩下子爵の姪御さんから聞いたという話の又聞きですが、なぎさホテルのレストランで使う洋野菜を、逗子5丁目にある家の広大な庭で、家族が栽培していたそうです。昭和初期は、レタスやパセリなどは手に入りにくかったんですね。

AMIGO HOUSEの大家さんがご実家を現在の形にリノベーションした際も「おしゃれだけれど気取らない、なぎさホテルのような施設」がコンセプトでした。

伊集院静の自伝的随想録「なぎさホテル」を読むと、かっこよく著者を受け入れてくれた、ベタベタしないけれど心温かい居心地のよさが、体感するように伝わってきます。

土地の記憶に刻まれたなぎさホテルスピリットを受け継いで、AMIGO HOUSEでお待ちしています。